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まち・コミブログ
阪神・淡路大震災まち支援グループ まち・コミュニケーションの活動日誌 ※写真は、震災やまちづくり学習研修受入をしている様子です。
月刊まち・コミ2006年7月号より
●民家が繋ぐ御蔵地区の集会所
御蔵地区(以下御蔵)での住民と学生との結いによる集会所建設作業から、2年が経過した。御蔵通5・6・7丁目自治会館は住民はもちろんのこと、修学旅行の学生や見学者など多くの人に利用されている。120年以上の歴史を持つ空間が再現された御蔵では、新たな息吹を感じさせてくれている。(詳細は2003年月刊まち・コミ又はHPを参照)
御蔵のミニディサービスでは、高齢者が集い憩い、囲炉裏を囲んでの談笑の時間を作っている。3ヶ月に1回、日曜日には、唱歌の会や百聞くらぶがあり、さらに賑わう。建設工事時、多くの人が関わり、それぞれ想いを持ってできた再生古民家が持つ空間の魅力が織りなす雰囲気がある。ハードとソフトが共に育まれているような場所がここ御蔵に実現されつつある。

●台湾まちづくり人が日本古民家を魅了する!!
まち・コミ関係者や御蔵住民は、台湾集集大地震(1999年9月21日)以降、台湾被災地支援と共に、台湾でまちづくりに取り組む人とも、共に復興まちづくりを学び、復興に向けて交流を深めている。2005年までに、関係者や住民300名が台湾を訪れている。

2002年6月16日、交流のある台湾彰化縣から県知事始め多くのまちづくり人が御蔵を訪れた。古民家集会所の温かい空間で、交流の時間はゆっくりと流れ、人々は心ふるわせ気持ち豊かになった。台湾のまちづくり人は、母国台湾にも心和ますこの古民家の空間を、移築して欲しいと望みが芽生える。言葉を交わし豊潤な中で気持ちは大きく膨れていく。緑豊かな台湾の大地に、日本で建てられた民家が青空を背にしている風景を瞼の裏に思い描いた。

●台湾へ移築する民家
御蔵の集会所を建設している2001年夏、福井県大飯郡岡田村の民家を所有している人から「私の民家も有効活用できないか」と相談があった。福井県大飯郡岡田村は、故水上勉氏(作家)の生地である。近くには著者の蔵書を地域に開放した若州一滴文庫もある。
2001年秋、民家の調査に入ると、棟札には、「大工棟梁 水上覚治」と書いてある。棟梁水上覚治は水上勉氏の父である。水上勉氏は、著書の中に父は貧乏大工と書いている。19歳の時に建てたさや堂を見るに技術はすばらしい。移築する民家は、21歳大正5年の建設である。冬は数メートルも雪が積もる為に大黒柱、小黒柱に屋根を支える柱は太くしっかりとし、梁は幾重にも重なり重力に屈しない力強さがある。棟梁の技を競うのかテッポウと言われる曲がった梁の加工にはほれぼれとしてしまう。その姿に台湾のまちづくり人も心惹かれたのであろう。(詳細は2004年8月号参照)

●解体工事へ決意
古民家移築で学んだことがある。「旬」である。木や竹の切り旬、藁、土とそれぞれ時期をみて仕事をしていた。季節に身を任せて生活をしていた。
旬は多くのものに存在する。人には希望があり、要望があり移り気となる。ものにも命があり朽ちていく。丁寧に使い、繕うことで朽ちる時間を長くなる。
民家は空き家になって数年経って、雨漏りもしていた。朽ちるのは時間の問題である。事業計画は何も決まっていなかったが、古民家を移築することで造られる空間と時間には絶対的な自信を持っていた。決断する要素は揃っていた。旬を逃さず、時を見る時間はなかった。

●解体開始!
民家の解体は、2004年8月15日から1ヶ月間で行った。2ヶ月ほど前から近隣各大学や専門学校の先生方の協力により、授業等の時間を頂いて、学生へプロジェクトの説明と参加呼びかけをした。その結果解体工事には学生55人が参加し、さらに台湾から建築学生4人に映画監督1人、集会所で結いの大切さを感じた御蔵の住民、先生方や大工棟梁を含め、有に100人を越える有志が集った。岡田村の空き家を借りて泊まり込み、一滴文庫を含めた地元の方にもお世話になり、4週間かけて解体工事を行った。最後には福井豪雨のチャリティーを兼ねた交流コンサートを一滴文庫と共催し、移築成功と交流継続を誓った。解体した木材は、乾燥と大工さんが施工をするため、兵庫県篠山市氷上町の倉庫へ移した。

●台湾との交渉
カウンターパートナーである邱明民さんと打ち合わせのため、日本側関係メンバーでこれまでに5回訪台し、移築に向けて具体的に詰めている。大きな課題は、土地探しと台湾の賛同者探しである。そのほか、建築基準法の違い、土地の選定、材料の有無、伝統技術の差、建築における要件のクリアに向けて話し合いを進めた。文化建設委員会の陳其南大臣によると、台湾には日式、日本統治時代の建物が多く残っていて、今も大切に活用されているそうだ。
現在の使用方法については、NPOセンター、古建築修復センター、台日文化交流センター(文庫等)が予定されている。交渉の難航していた建設予定地は、淡水に決定した。
 台湾の大学を回り、学生ボランティアの参加も同時並行で行っている。

●日本・台湾の応援団結成
日本側でも技術面・資金面の課題をカバーするため、学識経験者や市民の多くの応援団の結成準備を進めている。(現在の応援団参照)
551蓬莱社長の羅辰雄氏は忙しい中、親切に台日交流のことを聞いてくださり、心強い支えになってくれている。水上勉氏の長女蕗子氏も、蔵書等の応援をしてくれている。
現在も応援団になっていただける方を募集中。

●台湾へ向けて
11月19日から20日にコンテナ積みを行い、11月30日に神戸港を出航し、2005年12月3日に台湾へ運ばれた。
●日本側の伝えたいこと移築にかける想い(台湾に民家が移築されて)
台湾でも御蔵で行った参加を促し、共に造りたい。日本でも解体に参加した学生の中には台湾でもと願っている人もいる。専門分化は時間を買っている。向き不向きはあるが得意な人に任せても、出来ることは率先してやる方が良い。知ることで得ることも多くあり、より深い理解に繋がる。一方向だけでなく多方面から見ることが出来るようになる。宛い扶持や選択肢を選ぶだけでは創造的なものは生まれてこない。台湾への民家移築はそんな決められた選択肢にないものの見方を教えてくれる場であると思っている。
台湾の学生も情報として得ているだけでなく、日本に伝わる伝統的な技術に触れることで違った価値観を得るだろうし、日本の学生と交流することで相互理解に繋がる。共に考え、手を動かすことでお互いの良い部分を知り吸収することで新たな歴史が刻まれると望んでいる。
台湾への古民家移築を日本・台湾多くまちづくり人と協力することで成功させ、復興まちづくりから生まれた人の力・知恵を大切にする精神を共に養う、記憶的な建築になると願っている。

最後に
まち・コミ顧問の田中さんが好きな言葉からは、古民家の人を大切にする心が感じられる。

人に接する時は、春の様な暖かい心で
仕事に取り組む時は、夏の様な燃える心で
物事を考える時は、秋の様な澄んだ心で
己を責める時は、冬の様な厳しい心で

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